サワディーカ。
タイ暦2559年(西暦2016年)10月13日木曜日午前4時、タイで70年間在位したプミポン・アドゥンヤデート国王(ラーマ9世)が逝去され、全世界でニュースになったと思います。
この在位70年というのは全世界の歴史上最も王位が長いわけです。戦後すぐ、日本が焼け野原であった1946年に王位についたことを考えると、いかに長いのかわかります。
以上の記事でもプミポン国王のことについて歴史などに触れているのでぜひ参考にしてみてください。
今回はバンコクに一年間住んでいる学生として、また国王が療養していた病院や王宮の近くに住む人間として、見聞きしたことや感じたことを書いていこうと思います。
崩御当日(10月13日)の状況
崩御発表は同日19時に行われ、その瞬間タイ全土が悲しみに包まれることとなりました。
発表以降外に出て通り歩くと、タイ人の表情はうつむきがちで、泣き腫らして目が真っ赤な人も多数いました。
国王がいるシリラート病院へ
国民が悲しみにくれている中、王様が眠るシリラート病院へ行って状況を見て来ました。
シリラート病院の周辺は21時前にも関わらずものすごい数の人。
病院中央へと続く道路の前にかなり多くの人が集まっていました。
人があまりに多すぎて通行したい人が通れない状況でした。警官も適切な行動を取るよう呼びかけていたりもしました。
集まったタイ人が国歌や国王賛歌を歌っていて、その様子は圧巻でした。シリラート病院での様子を不謹慎ながらも動画に収めたので、下にリンクを貼り付けます。
[https://youtu.be/CQeluXbxqlc:title]
翌日(10月14日)の状況
翌日のthe NATION一面記事。
遺体の移送レポ
国王が亡くなったその翌日は、国王の遺体の王宮への移送が行われました。
国民は喪に服すため黒い服(もしくは白)を着るように推奨されました。
当初は13時に病院を出るとアナウンスされていて、朝10時の時点ですでに家の前の沿道に人が詰めかけて待っていました。
13時になるとものすごい数の人が沿道に詰めかけていました。しかし、「出発は15時」「やっぱり16時」みたいな感じでどんどん延ばされていって、結局遺体を乗せた車が病院を出たのは16時半頃になったと聞いています。
病院から王宮まで、国王が通る道路は封鎖されてました。移動の総距離は3キロ程度だと思いますが、まるで箱根駅伝の中継所が3キロに渡ってずっと続いているかのような人だかりでした。
(写真は友人が提供してくれました)
また、シリラート病院~ピンクラオ橋~王宮までの道路が封鎖されていたため、平行する道路は昼間から大渋滞になっていました。
タイ人が生活しているにも関わらず、通りや街がもぬけの殻になったような静けさがありました。
僕は王宮には行っていませんが、朝から大量のタイ人が国王移送の様子を一目見ようと詰めかけていたそうです。
(これも友人が提供してくれました)
こんな広場で長い間炎天下で待たされることとなったタイ人の中には熱中症でダウンした人もかなり多かったそうです。
30日間パーティーやその他お祭り要素があるイベントが中止になると発表されるとともに、この日は映画など、エンターテインメント要素を含むものの多くは自粛する場所が多くありました。
70年ぶりである国王の崩御という事態に、タイ人自身もどうすればよいかよくわからない、混乱した様子がうかがえました。
翌日以降の状況
僕は14日に上海へ行く用事があったので、その後3日ほど様子は実際にわかりません。そのため、18日の帰国後、僕が見聞した様子を書いています。
それにしても僕の周りの周辺、10日経った今でも正常な日々からは程遠い状況です。中心部に行くのに交通規制があって普段よりふた手間くらい多くかかります。
いつにも増してひどい渋滞
バスで帰宅する際に驚いたのは、渋滞のひどさです。普段20分で着く道が、一時間かかったりします。
追悼に向かう人があまりに多いために、王宮に通じる道は夕方以降を中心に基本混んでいるわけです。
王宮周辺の状況
王宮周辺は王族や要人の通行の度に道路封鎖があるので、とりわけ混雑しています。
ベランダから、王が通るときの道路封鎖(上から眺めることは不敬罪にあたるので、一瞬で撮りました。)
また、普段に比べて多くののバイクや車が路上駐車してあります。
ドレスコードに従い多くの人は全身黒い服に身を包んでいて、道路は地方から来たと思われる人の団体が近くでバスを降りて王宮に向けて歩いていきます。
夜になっても王宮の横にある広場(サナームルアン)にはたくさんの人が押し寄せ、追悼をしにきます。
道を歩いていて目を引いたのはボランティアに勤しむ人の多さです。王宮までのバイクタクシー送迎が常に待機していて、水やお菓子、弁当の配給などのボランティアで行う団体がたくさんいます。(ある友人は水のボトルをもらえるところで全部もらっていたら30本になったと言っていました)
ボランティアでバイクタクシーに乗せて王宮まで連れてってくれます。王宮周辺に軽く300台以上はボランティアバイタクがいるんじゃないかと思います。
友人から聞いた話ですが、こうしたボランティアは、政府の支援で物資が供給されているものもあれば、タイの一般企業や、華僑財団などの財団が支援しているものもあるそうです。“ทำดีเพื่อพ่อ(父のために善行を)” などというスローガンを掲げてボランティアをしている団体が多く見られました。
無料シャトルバスも走ってます。
国王賛歌追悼式
10月23日には国王を歌で追悼する催しが王宮の隣のサナームルアンで行われ、なんと総計15万人が参加したとのこと。15万ってミスチルのコンサート何回やれば集まるんでしょうか。短パン禁止など厳しいドレスコードもあったため、広場が黒い服を着た人の海で真っ黒に染まったそうです。
その日の夜は僕の家の前で帰宅する人の列が途絶えず、12時近くになっても信じられない数の人とバイクで列ができていました。
その他のエリアの状況
空港や外国人の多いスクンビット通りのようなエリアは、僕が住む王宮に比べて感じられる変化や違いは小さいように思います。こうしたエリアに行くと黒い服を着ている人の割合は圧倒的に減ります。
スワンナプーム空港でのモニュメント。
外国人旅行者でも暗い色の服を意識して着ている人はある程度いますが、外国人旅行者であれば服装については大目に見られている感じです。
クラブや歓楽街などでは、派手な音楽を流すようなことは多くの場所で自粛していると聞きます。
一方で禁酒を強制するということはなく、飲み屋街などではタイ人も普通にお酒を飲んでいます。
ということで、観光を控えようとする流れもあるとは思いますが、ものの、静かに観光する分には基本的に問題はないと思います。パーティー等は楽しめなさそうですが。
また、街中に置かれている国王の肖像画は、白黒写真バージョンに張り替えられています。タイのウェブサイトも白黒に変えているものが多いですね。
Googleのようなワールドワイドなサイトのタイ版も白黒です。
混乱
一方で、国王の死へ悲しみや追悼の念が歪んだ形で社会に出てきている様子もうかがえます。
Facebookなどでは、「魔女狩り」として国王や王室批判をした人、白黒服を着なかった人が暴力やリンチにあったり、国王の肖像の前で土下座をさせられたりした、という投稿が流れてきたりしました。もちろん国王の批判をすることは不敬罪にあたるご法度なのは当然で、賢明ではありません。しかし発言者が精神障害者であるかどうかの考慮もされずに暴力行為が行われる、という事態も起きているようです。
こうしたことは、国王への悲しみのストレスを反発者への怒りで発散したり、もしくは国王を愛し尊敬していることへの意思表示をすべきである、という社会的圧力がかかっているということが考えられます。
今後の影響
基本的に市民は死後30日間は喪に服すよう推奨されています。この期間は黒や白の服を着るべき旨が通達されていて、王宮にも多くの人が集まり続けるのでしょう。また、エンターテインメント性の強い娯楽も自粛され続けることになると思います。
経済の影響
直近の影響は少ない
亡くなる前日に国王の容態悪化が取りざたされてからタイバーツは下落していたようですが、14日にはすぐに回復したため、タイ経済への直近の影響は大きくないようです。
スクンビット通りなどのビジネス街での変化は少ないと述べたように、仕事はいつも通り行えている企業が多いみたいです。
一部業種はダメージ?
ただ、娯楽が自粛されており、電車やFBなどで広告が国王追悼のものに変わるなど、一部の業種は直近でダメージを受けているところもありそうです。
特にパーティーやコンサート、クラブの運営などを行う企業の損害は大きいんじゃないかと思います。事業を自粛せざるを得ない企業は大きなダメージを受けると思います。
まあただ、タイ人の友だちにこの前クラブに誘われたりしたので、実際は営業しているところが普通なんだと思います。
長期的にはじわじわ影響ありか
また、バイト先の企業経営者の方のお話ですが、「こうした自粛ムードは消費を先細らせ、中長期的に徐々にタイ経済全体にダメージが広がっていくだろう」とおっしゃってました。
とにかく、日々の暮らしを回すので精一杯や低所得者層などに悪影響がでないよう支援を行ったり、自粛をさせる仕方にも工夫してほしいというのが僕の願いです。(自粛をさせるって自粛じゃないですね)
後継問題と混乱
現在は喪に服す期間であるためであるため心配されているようなクーデターの危険を感じるようなことはありません。現状、王宮周辺に来なければ観光も問題なくできます。
後継者の問題については僕ははっきりと事情が分かっていないので具体的なことは言えません。適当なこと書いて不敬罪で捕まりたくはないですし。
とにかく国王の長男であるワチラーロンコーン王子がそのまま王位に就いて何も反発が起きなければこのまま平和に行くのでしょう。
ただ、もしそうでなければひと悶着起きることは間違いないのではないでしょうか。素行に問題がある王子よりシリントーン王女が王位に就いてほしい、と考えるタイ人の方が多いからです。そういう意味では先のことはまったくわかりません。
逝去の直後は危機を懸念してコンビニで水や食料を買いだめする人もちらほら見られました。(再び友人提供)
僕の感想
存在の大きさ
これまでタイに10か月住んできましたが、国王の存在と影響力の大きさに改めて気づかされた、という意味で驚きが大きかったです。
連日王宮に集まる人の数や、熱心に追悼する市民の姿を見て、いかに国王がタイ人から愛されていたか、いかに大きな存在であったかというのはひしひしと感じます。
その一方で、国王一人がこれだけ尊敬され、多くの人を動かす力を持っているということの大変さも尋常じゃないことだと思います。国王を神のように崇めるタイ人もいると聞きました。「神のように崇められる」ことに憧れる方もいるかと思いますが、しかし実際に崇められる側はたまったもんじゃないと思います。神は絶対、失敗が許されることはないからです。そういう意味で一生を通して背負っていたものは考えられないほど重かったのではないかと思います。
圧力の大きさ
また、タイ国内で、国王の死を悲しみ、喪に服すことへの圧力が強すぎるとも感じます。これは先ほど「魔女狩り」の話も書きましたが、基本的に自分の信条と心情には自由であるべきだと僕は思っているので、行き過ぎているところがあると感じます。
もちろんプミポン国王は国民から圧倒的な支持と人気を受けていますが、実際にタイ人の友人と話すと必ずしもすべての国民が強く悲しんでいるとは感じないからです(特にタマサート生)。葬式のような気分で追悼に来るというよりは、非日常を楽しむような人もいるような感じがします。まあ葬式って実際そんなもんなんでしょうか。
とにかく、タイでのアイデンティティの象徴である国王の死に対して、権力者側や愛国者によって必要以上に同調圧力がかけられているんじゃないかといった感じはします。
天皇について
日本の天皇についても考えさせられました。天皇様は僕にとってどういう存在なのか。まあよくわからないしあまり適当なことは言いたくないのですが、少なくとも日本人とタイ人の君主に対する捉え方は全く違うな、と平成生まれの僕は思いました。これも人と話してみたいところです。
さいごに
今回は見聞からの分析が多いので、事実と違う話もあるかと思います。何かあればご指摘お願いいたします。
以前の記事でこの状況を見てみたいとも思う、などど僕は抜かしましたが、今後タイ国民がより満足する形で平和に王位継承が行われていくことを願います。
最後に、亡くなったプミポン国王へのご冥福をお祈り申し上げます。