バンコク学生日報

バンコクに一年間留学している大学4年生。バンコクでの生活、旅行記、タマサート留学生とバックパッカーにむけた旅情報などをゆるく書いていきます。

美しき世界遺産の海商都市マラッカ

*1RMは27円

セラマッパギ!

 

今回はマラッカについて。

これまたペナンと同時に2008年に世界遺産登録された都市です。

ここに丸一日だけ滞在したので、その内容を記事にしていきましょう。

 

↓マラッカの前の旅先

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マラッカの歴史

マラッカはその名前が冠されているマラッカ海峡マレー半島側にある港湾都市マラッカ海峡は中国とインドを回路で結ぶ最短距離にあるため非常に重要です。

14世紀末からイスラム系のマラッカ王国がマラッカを支配し始めて、マラッカはその地理的重要性を生かして中継貿易で栄えたようです。

その後ポルトガルが1511年にマラッカ王国のスルタンを屈服させ、植民地支配を始めました。1641年にオランダ、1824年にイギリスと支配者が変わっていきながら、シンガポールの成長を受けて少しずつ衰退していったようです

終戦直前に日本軍の支配も受けたりしました。

港湾都市ということで、とにかく多文化他民族な土壌があったようです。

僕がみたマラッカ

赤いオランダ広場とキリスト教

ガイドブックとかがマラッカを紹介するとまずこのオランダ広場が紹介されているのが多いと思います。なかなか綺麗ですよね。

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右の教会はオランダ植民時代に建てられました。建設当初はこんな風に赤くなかったらしいです。

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 中はこんな感じで、ごく一般的でシンプルな教会です。

スタダイズと歴史博物館

教会の右側にあるスタダイス(Studthuys)は、元総督官邸で、現在は歴史博物館になっています。上記のようなマラッカの歴史をたくさんの絵で振り返ることができます。

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 各占領当時の兵隊像が入り口正面の通路に展示されていました。上はポルトガル。マレー人の武器なども展示されていました。

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日本占領時代に作られた紙幣です。わずか3年程度の支配でしたが、ちゃんとお札も作ったんですね、ドルですけど。

あとは、3階のスペースが鄭和専用展示スペースになっていました。

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これだけ大きな扱いを受けるのも、鄭和マラッカ王国の繁栄にかなり重要な役割を果たしたからです。

鄭和は15世紀、中国が明の時代に永楽帝の命を受けて大艦隊を率いて何度も大航海を行いました。その際、マラッカにも立ちよってマラッカを朝貢関係の保護下に置きました。これによって、例えばタイのアユタヤ朝のような周囲のライバル国がマラッカ王国に手出しできなくなったことが、マラッカ繁栄につながったようです。

 

博物館見学はかなり体力を使うので、ちゃんと見るには何回か来ないと難しいですね。

外国人入場料はややお値段がはり、10RMでした。いや、今思うとそんなに高くもないですね。当時は一食5RMで済ましていたからかもしれません。

セントポール教会跡

こいつもマラッカに来た人はみんな見に来るであろうセントポール教会です。

スタダイスから丘を登ってくるとあります。ポルトガル植民時代に、有名な宣教師の人がきてここを拠点に一時布教活動をして、死後に遺体がここに安置されたらしいです。

ってか、この有名な宣教師ってよく調べたらかの有名なフランシスコザビエルらしいです。

英文の説明読んでる限り、全く気付かなかった…アホすぎますね

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このときカメラのカバーが被っていることに気づかづ写真を撮ったため、こんなことに。教会は天井がないただの跡です。

ここからの景色はなかなかいいです。朝早くに行きましたが夕日もきれいでしょうね。

サンチャゴ砦/ ファモサ要塞(A' Famosa)

反対側へ向かうと、サンチャゴ砦があります。これまたポルトガル時代からある砦です。

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ここから海まで距離はありますが、昔はこの砦と丘を取り巻く城壁の目の前が海だったらしいです。海から侵入してくる外敵から都市を守るため、オランダ時代も使われたとか。現在は埋め立てられていたので、ここは見応えありでしたね。

ブキッチナ/三保山

 中国の国外では最大規模の中国人墓地、ブキッチナ(Bukit China)です。かなりたくさんのお墓が丘にそって作られています。

三保という中国名は、鄭和の名前から来ているようです。ここは鄭和が来ていたころは航海隊のベースキャンプになっていたようです。

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この写真のお墓は丘の頂上と思われるところにありました。おそらく偉い人のお墓です。

丘の上とは言ってもうっそうと木が茂っているので、景色はそんなによくないです。

 

街歩きたのし

オランダ広場のみならず、ところどころ赤く塗られた壁の建物があるので、街歩きをしているとふときれいな光景にであったりしてなかなか楽しいです。

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ここで写真撮ったら絵になりそうですね~。

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 マラッカには小川か運河かわからない水路が流れているので、橋から眺めるとかなりいい感じです。朝や夕方に歩き回ったら気持ちがいいと思います。

 

宿泊先 Victor's guesthouse

Victor's guesthouse melakaは、Booking.comの評価も高く、地球の歩き方にも紹介されていたので選びました。ドミトリーベッド1台15RMとスーパー破格です。

ベッドはすべて一段のみベッドで、上に人がいないので寝やすいです。仕切りはないですが。

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おしゃれなホテルに泊まりたい人からみたら監獄に見えるんでしょうね笑

扇風機1人一台、WIFI、コーヒー水サービス、ロッカー、PCありで、清潔だったので文句はありません。

行き方

クアラルンプールからは長距離バスが最適です。マラッカセントラルバスターミナルまで所要時間は2時間程度でたったの10RMと、コスパよしです。空港KLIAからも直通バスが走っています。

マラッカセントラルのバスターミナルからは、17番バスでオランダ広場がある中心部にたどり着けます。たったの1RMで激安です。歩くには遠い距離ですが、一瞬で着きます。僕の場合ふと外を見たらいつの間にかオランダ広場を過ぎようとしていたので、乗り過ごしに気を付けてください。
 
KLから電車で来ることも不可能ではありませんが(僕はそうしたかったのですが)、マラッカ最寄りの駅がタンピン(Tampin)という駅まで1時間以上もかかる上に、さらにそこからタクシーで1時間もかかる道のりだとのことだったので断念しました。

さいごに

街はコンパクトながらも歩きだけで回るのはやや大変です。いろんなところに行きたければ自転車を借りるのが良いと思いました。僕は自転車屋見つけらなかったんですが。

個人的には時間が許せばポルトガル人の末裔が住むポルトガル村や、プラナカン文化が見られる地域に行ってみたかったです。

 

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