北インド旅行紀【8日目】コルカタ
バラナシでもコルカタでも最高気温は連日40度に達していたけど、バラナシは唇がカサカサになってしまうほどに乾いていたので気温のわりにかなり過ごしやすかった。
ベンガルは海に近いせいか湿度が高く、蒸し暑さによって体感気温は高い。
今日は最終日。コルカタの街を見てみたかったので少し歩きに出てみる。
階下で朝から日本人の方がシタールの演奏の練習をしていた。まだ一か月というがかなり上手にみえる。
すがすがしい朝だった。
朝早くから仕事や学校に向かう人、仕事の準備をする人、バケツで洗車をする人などたくさんの人が動いている。
道端からトラムの写真を撮ろうとシャッターチャンスを待っていると、自動車部品の店を営むインド人が話しかけてくれて、椅子に座らせてくれた。
最初は警戒したが、彼はただ親切をしてくれたようだ。どんな親切にもお金がかかるバラナシに比べて、コルカタなら損得勘定なしにインド人の友だちを作るのは比較的簡単なのかもしれない。
このおじちゃんからチャイを買って一緒に飲んだ。
俺のことを見つめながらチャイを入れている。職人だ。
平和そうに見えてよく目をこらすとゴミを漁っている親子がいたりする。
ぎょっとしてしまったがこれがインドの現実だ。
トラムに挑戦してみたかったので、来たトラムを捕まえる。
しかし、どこがトラムの停車場なのかわからない。
どうやら停車場などはなく、来たトラムに近寄ってそのまま乗り込むのが流儀らしい。ワイルドだ。
行き先もわからないけど、ガタゴト走りづづける。
10分くらい乗ってちゃんと帰れるのか不安になってきたところで降りてみる。
一回乗るのにたったの5ルピー。距離によって違うにしてもかなり安い。
道端で売ってたサモサなどを買う。
これで5ルピーは破格だ。中にはジャガイモのカレー。ややくせの強い味。
ちなみに容器と思っていたものは葉っぱだった。
無事帰ってきたら、宿の朝ごはんを食べる。
野菜のポタージュがかなりおいしい。しみる。
少しずつ体調が悪い友達が出てき始めた。一人の女の子は昨晩腹痛と熱で寝込んでしまったし、大阪出身の友だちは2日目から頭痛がしていたらしく、今朝宿の体温計で体温を測るとなんと40度もあった。昨晩は辛すぎて救急車を呼ぼうと思ったとか。
どちらもかなり辛そうだ。食べ物に当たったのか。インドで熱になったのも偶然ではないんだろう。
病人が多いのでチェックアウトぎりぎりの12時まで休んでから出発。また帰ってくるから荷物は置かせてもらった。
Sunaynaでランチ
まずはお昼を食べに宿のみんなが一押しのインド料理屋、sunaynaへ。
インド人もたくさんいて、現地でも人気なのがわかる。
チキンコルマ、マトンコルマ、パニール、魚カレーなどを注文。
これがパニール。卵と玉ねぎ、チーズが入っててうまい。
コルマ系は評判通りかなりうまい。
コクが深いから日本人にも受けるんだろう。
ここの魚のカレーは臭くて食べにくかった。
誰も手を伸ばさないから仕方なく俺が全て処理した。
あとおいしかったのはパラタ。ナンをさらにふわふわにしたようなもの。今までで一番おいしい生地だった。
タクシーに乗ってサダルストリートの方へ向かう。途中パークストリートにオックスフォードカフェが見つかったからそこで下ろして入る。
たくさんの英書が置いてある。二回にはカフェがあって、一部の本を持ち込んで読める。
本を読もうとしたもののもう少しコルカタの街を歩きたいな、と思ったから。カフェで休みたい二人を置いて散策開始。
パレシュナート寺院
まずはメトロにのってパレシュナート寺院へ。
ここは19世紀にできたジャイナ教のお寺で、大理石を使った白くてきれいなお寺とのこと。
あまり綺麗な写真が撮れず。
アクセスがかなり悪いから、メトロのShobhabazar Sutanuti駅で降りてから1キロくらい東に向かう。
他にもパレシュナートに近い駅はあるみたいだけど、ただ東に行けばいいだけだからこの駅が行くのに一番わかりやすいと思う。
ジャイナ教のマークは、カギ十字に似ている。
最初はナチスのハーケンクロイツに見えて少しぎょっとしたけど、カギ十字はもともと吉祥を表し、ヒンドゥー教や仏教で使われているらしい。日本の卍も同じだ。
庭はかなり綺麗で大理石の白が際立っている。
寺の中は撮影禁止。観光地化しているからか、はたまた時間が悪いのか、お参りしている人は一人もいない。
外に出て、あの赤い旗はなんだろうと眺めていたら、ジャイナ教徒とみえるおじいちゃんが「あれはインドの共産党の旗だ」と教えてくれた。
インドにも共産党あるのか。
観光地での親切にはお金がかかるので、本来なら話しかけられたインド人とはそれ以上会話をしないようにしているのだが、
無所有を好み、商売でも信頼がおかれているらしいジャイナ教徒は俺らを騙したりしないだろうと信じ切り、いろいろ話を聞かせてもらう。
ジャイナおじさんと腹痛持ちの友人。
パレシュナートにはほかにも三つの寺がある。
ジャイナおじさんにパレシュナートにあるもう一つの寺を見せてもらう。白い仏像は赤子のようで、かなり奇妙な印象。仏教やヒンドゥーのものとはかなり違う。
他にも、ジャイナ教の12の神様が書いてあるという絵などを紹介してくれた。
撮っていいかと聞いたら、「こっそりだぞ」と許してくれる。
いろいろ説明をしてもらったあと、さて帰ろうかというときに、ジャイナおじさんがもじもじし始める。何かと思うと、やはり最後の最後にお金を求められた。
たしか一人50ルピー求められたけど、たまたま財布の中に5ルピーしか入ってなかったからそれを渡して終わりにした。説明は面白かったから感謝している。
コルカタの通勤ラッシュとともに帰宅
この時点で5時になっており、ほかにも行きたいところはあったけど帰らなくてはいけない。
地下鉄の駅までは遠いし地下鉄に乗っても駅から宿まで遠いのでどうしたものか、と考えていたら、バスと郊外電車を乗り継いでなんとか宿に帰れそうなことに気づいた。
インドのバスはカラフル。
バスの乗り方はタイと同じだ。違うのは乗客が普通に英語を話せるところ。一人5ルピーとタイより安い。
パレシュナートの北にある大通りはその東にある郊外列車のあるBidhan Nagar Road駅につながっている。一本道だからそこから東向きのバスに乗れば必ず駅にたどり着けると思う。
いろんな人に確認してバスを降り、何とか郊外列車の駅に着いた。
かなり圧巻の景色を見せてくれたのがこの駅だ。
ものすごい数の人が電車を待っている。これぞインド、という光景。
電車が止まると、中には俺たちが乗ってきた電車とは比べ物にならない数の人が乗っている。
これで一晩を過ごすのかと思うと考えただけで失神しそうだ。
走って線路から電車に飛び乗っている人もいた。
電車を何本かやり過ごして眺めてから、ようやく電車に乗ってみる。
電車が到着するとやはりあまりにもすごい人の数で乗れそうにない。焦って後ろに向かってたらすいている車両発見!!と思ったら女性専用車じゃないか。
ひとまず一緒にいた女の子には乗ってもらい、とにかく次の駅で降りて会おうと伝える。
次の車両に乗り込もうとするも、この状況。
こんな写真を撮るのが精一杯。、
このまま乗れないとかなりまずいので、何とか乗り込もうとすると、中にいる人が手を差し伸べてくれた。やさしい。
電車にはこんな風に体半分はみ出た感じで乗る。
対向列車にぶつからないかひやひやした。電車は男たちの熱気で満ち溢れている。一区間じゃなかったら暑さに耐えられなかったかもしれない。
ちなみにお金は徴収されなかった。払い方わからなかったしな。無賃乗車。
ようやくシアルダー駅についた。またこの駅がものすごい人。
改札を抜けて大通りに出るまで混雑でなかなか前に進めなかった。こんなにも多くの人がコルカタにいたのか、と驚いてしまった。
バスで宿まで帰る。バス停で行き先を伝えて、7回くらいNO、と言われてからようやく正しいバスを見つけた。
レトロな雰囲気。
能天気な考えかもしれないが、こういうインドのはるかに多くのことが許される自由な雰囲気に、俺はどちらかというとわくわくしてしまう。その自由な中でも、お互いを侮辱、もしくは不快にしすぎないようにある程度のラインは保っているように思える。
(もちろん、日本人など他国の人にとっては我慢できるラインをはるかに超えているのだけれども。笑)
いくら汚くても、臭くても、この自由な、解放感を味わえるような雰囲気が、多くの人をインドに惹きつける理由なのかもしれない、とたかが1週間しかいなかったのに推測してみる。
帰国へ
宿に帰ってからはサンタナの生姜焼きを食べた。150ルピーで食べられる。味噌汁がおいしかった。
深夜12時発の飛行機に向けて、夜9時ころ宿を出発、タクシーで空港に向かう。
コルカタの空港はかなりきれいで大きかった。
ここではパスポートを総計八回チェックされた。地下鉄で感じたのと同じように警備がなかなか厳しい。
また、チェックインの際に使ったクレジットカードの提示を求められた。俺はこのときカードをなくしていて恥ずかしくも母親のカードを使っていたから、もちろん持っているはずがない。急いで母親に電話を掛けると、日本時間3時にも関わらず電話にでて、カードの写真を送ってくれたから何とかチケットを無事手に入れることができた。母親には本当に感謝。菩薩だ。
さらに、俺がもっていたビール瓶やネジを開けられる万能カードが引っかかってしまい、時間がかかる。
結局万能カードは持っていかれてしまった。行きは持って来れたのにな…
ってことでコルカタの空港が嫌いになった。
まあ無事搭乗できたからよし。